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2017年6月

2017年6月30日 (金)

第377回

生態系の保護に物申す。

ちょっと前だろうか、
新聞に猟師が誤射でコウノトリを殺した、というニュース。
サギを駆除していて間違えたらしい。
当然「なんてことを」なんて批判が殺到するわけだが、
いやいやちょっと待って、
サギはいいわけね、殺しても、と言うのはない。
サギは増えて農作物に被害が出るらしい。
だから駆除の対象に。
コウノトリは今やっと100羽ほどになったらしい、
国を上げての保護活動の成果だろう。
で、このまま増え続けて保護しなくてもいいようになって、
逆に駆除しまくったサギが減ってしまって、
コウノトリと間違えてサギを誤射した、
なんてことがニュースになるんだろうか。

そういえばあちこちで鹿も駆除対象に。
でも奈良市内の鹿は保護対象、おかしくない?

日本の固有種でこんなんだから、
外来種にとってはもっと厳しい。
確かに固有種を守れない現実は理解できるが、
原因を作っておいて、そこの反省は無しでただ駆除に奔走するすのはいかがなものかと。
地球規模の環境の変化で考えるのであれば、共存も有かと思うが。

関西で騒ぎまくっている「ヒアリ」も、
おそらくすでにそこら中にいるだろうし、
今はだれも騒がなくなった「セアカコケクモ」の実態もわからないでいる。
それに毒性だけで言うと日本固有種のスズメバチもかなりの脅威だと思うが、
それなりに共存できているし、絶滅させようとする考えも無いようだ。

河川敷の公園を歩いていると、ついついいろいろと探してしまう。
関東で話題の「カミツキガメ」もいるかもしれない。
いたらどうしよう、捕まえてどこかに連絡だけど、
どこに連絡すればいいのか、
その前に捕まえられるのか、噛まれたら大変だし。
そんなことを考えていたら、犬たちがこいつを見つけた。

Img_1764a

不謹慎にも死体の写真なのでぼかしを入れてるが、
ほんとうはくっきり写っている。
見たい人は連絡を。悪趣味じゃないですよ、
現実に目を背けないことは大切だと思う。

何かの子供には違いないが、
全くわからないので、いつも世話になっている自然史博物館に聞こうかと思っている。
場所と雰囲気からして、たぶんヌートリアの幼体かと。
体が傷ついていないので天敵に襲われた感じでもない、
というかそれなら食べられて死体は無いはず。
けっこう匂っているけど、季節的に腐敗しやすい時期だから、
死後日数は3日ほどか。

とにかく、生態系のことは考え直す時期だと思うが、どうでしょうかね。

フリースタイルの演技
ディスクスローについて③

トリックスローの定義。

トリックスローはノーマルスローの変形になります。
そして多くの場合、明確な名称がついていませんので、
元のノーマルスローの変形と言う意味で、
例えば、バックハンド・トリックスローなどと表現します。
明確な名称がついているのは、
後ろ手で正面に投げるバックハンド・バックスロー、
同じく、フォアハンド・バックスロー、
背中側に投げるオーバーハンド・ビハインドスロー、
肩にディスクを乗せてエアバウンドさせる、ショルダー・エアバウンドスロー、です。

変形の種類、
リリースポイントが変わるパターンとして、
極端に低くなるバックハンドスロー(バックハンド・アンダースローともいう)と、
ジャンプしてまで高くする、腕を目いっぱい伸ばしたオーバーハンドスローがあります。

足の間からスロー出来るのはバックハンドとフォアハンドです。
2つのタイプがあって、
一つ目は両足が地面についている状態で、
もう一つは、どちらかの足を上げて、その下をくぐらせる形式です。
足を上げた状態でスローしたのち、その場で自らスピンしたりします。
両足でジャンプして投げるのは、ノーマルスローに属します。

変わり種としては、タップスローがあります。
フォアハンドグリップから、胸や手のひらにディスクを当て、
はじかせて飛ばせる手法です。

トリックスローの注意点
スローする形が変形するだけで、ディスクの飛行形態は変形しません。
このことはとても重要で、投げ方に変形を加えることによって、
飛行形態が変わると、元のスロー形式の定義が崩れるために、
トリックスローとしての定義も明確になりません。
よって変形は施されているが、トリックスローとは認められないことになります。

フォアハンドはリリースポイントが低いことが特徴で、
その飛行形態はおのずと低位置から上昇する軌道になります。
この軌道をフォアハンド・トリックスローを用いた時にも実現できなければなりません。
よって、足を上げたその下からスローする場合、
バックハンドのトリックスローの場合は高い目に、
フォアハンドの場合は低い目に、と言うことになります。

多発している良くない例として、
ショルダーエアバウンドスローがあります。
このスローはその名の通りエアバウンドですから、
急下降ののち急上昇する(極端である必要はありませんが)軌道なので、
その軌道を実現できていないと、
単にバックハンドスローを肩の位置からスローしたことになります。
技術的なことよりも解釈が不足して、
肩からのバックハンドスローになってしまい、
その高さから地面と平行、
あるいは地面に向かって下降するスローが多くみられています。
多くのプレーヤーがショルダーエアバウンドを、
通常のバックハンドスローのように横向きにスローすると、
確実にエアバンドする形にはなりませんので、
エアバウンドの概念とは大きくかけ離れてしまいますので注意が必要です。

続く。

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2017年6月23日 (金)

第376回

伊藤園のトマトジュース、その2

その2だから当然その1があるわけなんですが、
いつ頃掲載したのか全く記憶になく、
それでいて探せばいいのだけど、それもなんか邪魔臭くって。
結構前だったような気はする。
でも、内容は覚えていて、
健康のために飲み始めたのだが、こいつが特別美味いトマトジュースでして、
と言う話だったはず。

とにかく、あれから随分と飲み続けている。
毎日欠かさないから大したもんだと思う。
例えば、朝の歯磨きだって、遅刻しそうでできない時があるのに、
おそらく、記憶では365日1回も飛ばしてない。
もちろん習慣化していることもあるけど、
やはり、基本、美味しいからなんだろう。
飲み始めたきっかけの一つ「健康にいい」、
これの効果は残念ながら、無くもない、程度だけど。

大量に含まれるリコピンさん(どこかの国の人みたいだけれど、さんは酸ね、)が、
摂取しすぎた塩分を体外に排出してくれる、
という、なんとも塩分過多のラーメン好きにとってはありがたい効果効用なんだが、
それって、目に見えないからな。
血液検査でもすればわかるのかもしれないけれど、
体調がいいので、このトマトジュースのおかげ、にしておこう。

Img_1686_2

 

そんな、伊藤園のトマトジュース、
その名も「理想のトマト」なのだが、
なんと、姉妹商品というか、別のトマトジュースを伊藤園が作っているので驚いたわけで、
名前は「熟トマト」なんだけど、
どうしてこういうラインナップになるんだろうと。
と言うのも、この二つのトマトジュースはコンセプトが同じ、
片方に味付けが違う、例えば塩入りとかならツーラインナップもわかるけど、
そうではないようだし。

Img_1687

唯一違う内容を明記しているのは裏パッケージのここ、
使用トマトの原産地。
熟トマトは原産地をホームページで明記とし、
理想のトマトのほうはパッケージに堂々と明記。
ここに大きな秘密がありそうな。

さて肝心のお味のほうだけれども、
これが驚くなかれ、全く違うのだ。
熟トマトのほうは他社のトマトジュースと一緒、
いうなれば昔からある、定番のトマトジュースの味、
これしか知らなければ、美味しいと思うレベル。
理想のトマトは次元が違う、はるか彼方にいる存在。
熟トマトがトマトジュースの定義とするならば、
理想のトマトはもはやトマトジュースではない、ほど。
良くも悪くもだけれど。

こうなるとなおさら解せない。
他社との話なら分かるけど、
同じメーカーで美味いほうとそうではないほうがいる?
好みの問題?そうかもしれない、いや違うな、
それすらも考えさせないほど、理想のトマトは完成されている。
確かにアマゾンの口コミではいろいろと意見もあるだろうけど、
きっと熟トマトを選ぶ人はいないと思う。
もし選ぶなら、他のメーカーのトマトジュースではないか。
あえて言うなら料理に使うなら熟トマトほうが適しているかもしれないが、
それなら料理用としてピューレを作るだろうし。

などと、理想のトマトを飲みながら、
どうでもいいことに思いを馳せらせていると、
新聞記事が目に入ってきた。これだ。

Img_1745

いまいちピンとこない内容だが、
ネットニュースではもっとわかりやすく書いてあった。
http://agora-web.jp/archives/2026523.html
関心のある人は読んでみて、結構面白い、いい記事だと思う。
ネットニュースもたいしたもんだ。

そう言うことか、
それでこのツーラインナップになっているわけか、
とまぁ、わかったような、よけいにわからなくなったような。
だけど、理想のトマトがなくならなければそれでいい、
と思ってしまう。

フリースタイルの演技
ディスクスローについて②。

ノーマルスローの定義

基本の型、ベーシックな物に定義とは、
いささかピントがずれているように思われそうですが、
ディスクスローには投げる型だけではなく、
その飛行形態も定義の中に含まれます。
つまり、その飛び方が必要だから、そのスロー形式を用いる、
という考え方も同時にあるということです。

ノーマルスローはバックハンドスロー、
フォアハンド、オーバーハンド、
そしてバックハンド・エアバウンドスローの4種類と、
特殊な飛行形態を持つ、バックハンド・スキップスローと、
バックハンド、フォアハンド・アップサイドダウンスローの、
2種類をたして全部で5種類となります。

バックハンドスローはその飛行形態がストレートとエアバウンドがありますが、
少しエアバウンドする程度のエアバウンドはストレートのグループに属し、
バックハンド・エアバウンドスローは明らかにそれとわかる、
極端に大きくエアバウンドする飛行形態を指します。
具体的にはリリースポイントが高く、
地面ぎりぎりまで下降したのちに、急上昇するような飛行を見せます。
これはノーマルスローに属しますが、高度な技術力を要します。
完成度の高いバックハンド・エアバウンドはあまりお目にかかることはないでしょう。
このことからも、ノーマルスローが易しいではないことがわかると思います。
あくまでも基本形の位置付となります。

フォアハンドにもエアウバンドっぽい飛行は可能ですが、
完璧なエアバウンドは不可能です。
オーバーハンドに至ってはエアバウンドさせようとすること自体、
ナンセンスだと言えるでしょう。

これと同じ考え方はスキップスローにも当てはまります。
スキップスローはバックハンドが適しているのは明らかです。
できなくもない、フォアハンドとバックハンドのスキップスローは、
ディスクの回転がバックハンドと逆という特性上、
スキップする瞬間に前方に飛ぶ方向と回転が反対になって、
ブレーキがかかってしまい、安定してスキップさせることが難しくなります。
よって、演技上の評価としては、適切な飛行形態を犠牲にして、
不自然な技術を披露しているにすぎません。
確かに、演技中にオーバーハンドのスキップスローを見せられると、
その瞬間は目を奪われることになりますが、
あまりにも飛行形態がお粗末なので、
けっきょく低評価となります。
こういった部分に、冒頭の飛行形態も定義に含まれる、と言う意味が重なります。

アップサイドダウン(ディスクがさかさまに飛ぶ)においては、
バックハンドで投げた時とフォアハンドで投げた時に、
飛行形態に大きな差はなく、ともに理想の飛行を実現できるので、
投げ方に差を付けずに飛行形態だけで定義されます。

上記を踏まえたうえで、
バックハンドの定義は所定の位置まで早く到達し、
しっかりとしたスピンによって、ディスクが滞空し、
それはまるで空中で止まっているかのような錯覚すら覚えるような飛行形態、となります。

フォアハンドは腕の自由度から自在に繰り出せることが特徴ですから、
おのずと、より安定した低い位置でのリリースポイントを、
実現できている必要があるでしょう。
腕の位置を高くしてフォアハンドスローをしていると、
その場面でフォアハンドを使う必要が感じられなくなります。
フォアハンドが出来ることを表現するのではなく、
その時、フォアハンドが必要だったから使う、
これが正しき捉え方だと言えます。

オーバーハンドはフォアハンドとは真逆にあります。
リリースポイントの高さとディスクが飛行する高さに差がないことが特徴です。
キャッチの精度よりも演出的観点からの使用頻度が大きくなります。

アップサイドダウンスローは例外的に滞空させないことが目的ですから、
演出的効果としてはぎりぎりのキャッチになります。
そして滞空はさせないけれど、空中に長くとどまっている必要はあります。
そうでないと犬たちはキャッチの体制が作れませんから。
よって、弧を描きながら上空に舞い上がることが重要です。
これが滞空はしないが、空中に長く飛んでいる状態です。
もちろん距離を投げるという発想もありますが、
それをするとディスクが途中で安定せず、ひっくり返ったりします。
となると、そもそもの安定したディスクからは遠い存在になるでしょう。

続く

次週はトリックスローを解説しましょう。

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2017年6月16日 (金)

第375回

STING

Sn2

行ってまいりました、見てまいりました、スティングのライブ。
先週の土曜日のこと。
スティングを見るのは2回目、
最初は初来日の時だから、「ポリス」の時、
京都のロックの聖地、京都大学西部講堂だった。
40年前、17歳だった。

いや~よかった、感動した、興奮した、
感動しすぎて「ふら~」っとめまいもした。
ほとんど前が見えない最悪のアリーナ席だったんだけど、
と言うのも、長身のスキンヘッドのお方が、
ステージ中央のスティングと自分のいるところの、
狂いのない線上におられまして、
ずっとそのヘッドを見ながら音を聞くというスタイルでして、
いやいや、そんな退けて、とか言えないですよ、
もし、言ったとして、振り向いたときに、
アンバランスに可愛らしい顔してたら間違いなく「プっ!」とかなるし、
逆に怖い系の顔だったら、逃げなきゃいけないし、
逃げるんだったら何しにここへきているかわからないし。

それにそのお方、横ノリでして、
ヘッドが左右に揺れるので、
その合間を縫ってステージのスティングが見える状況。
だから全く見えなかったわけではないんです。
しかし、リズム感、悪っ、
ノッてるというよりも、揺れてる。
見てるとこっちも「ふら~」って、車酔いみたいに。

もう一つ、ここのアリーナは床に弾力のあるマットが敷き詰められていて、
椅子に座ってるぶんにはいいんだけど、
まぁ、ロックコンサートですから全員スタンディング状態で、
クッションの上に立っているのと同じだから、
それだけでも「ふら~」って、
そこにさっきのスキンヘッドの「ふら~」が重なって、
めまいとなるわけ。

本来は体育館なので、そりゃなんか敷かないといけないけど、
なんでまたクッション系を敷くんだろうか、
答えはこれ↓

Sn1

そう、観客全員が一斉に飛んだりすると、
この体育館だけではなくその周辺までもが微妙に揺れるんですね、
そして苦情が来るそうな。
すごいですね、人がたくさん集まると大きなエネルギーになるってこと。

ジャンピングの禁止、これはわかりますよ。
でも「縦ノリ」ってどことなく意味不明、わからん。
ん?でもないか、そうか、
前のスキンヘッドのお方、横ノリだわ。
なるほど、そういうことをわかっていて、横ノリしてたんだわ、きっと。
でも、やっぱ、リズム感、悪っ!!

Sn4

スペシャルゲストのジョーサムナーとはスティングの息子さん、
と言っても40歳って言ってたけど。
顔も似てるけど、声も似てるわ。
親の七光り関係なく独自で音楽活動やってます。

Sn3

ほんとかっこいいおっちゃん、
憧れます、無理やけど。

唄もうまい、当たり前だけどCDと同じ声してる。
それにバンドにキーボードがいない、ってところも何ともスティングらしい。
また来日したら、ぜひとも足を運んでください、
おすすめです。

フリースタイルの演技
ディスクスローについて。

フリースタイルの演技で用いるディスクスローは多様性を重要視します。
それは競技の性質上「魅せる」競技だからです。
つまり、飛行形態の美を見せる、高い技術力を見せる、
そして多くの種類を見せる、と言うことです。
そして一つのスローに対して、この三つの「見せる」を実現することによって、
本当の意味での「魅せる」になり得るのです。

もちろんできることをやる、と言うのは最低限のラインですが、
そこに何らしかの工夫を加えて、より魅力的なものに進化せるといいでしょう。
当然そのためには新しい練習を積み重ねる必要もあるでしょう。
そして何よりもディスクスローの存在意義を掴んでおくことも大切です。

大分類として、ノーマルスロー、トリックスロー、
マジックスローの3種類で構成されています。
まずはこの3つの定義を明らかにしておきましょう。

しかしながらこの定義は皆さんが理解いているものとは少し離れています。
それはこの競技が歴史を刻んでいく過程において、変化してきたからです。
変化ですからあくまでも進化でないことは強調しておきます。
少し厳しい目を向ければ、全く進化していないと言えます。
簡単に言うと以前のほうが明らかに高レベルでした。
どんな競技においても技術レベルが退化するのは考えられないことですが、
ある条件揃うと十分に起こり得ることで、
実際にディスクドッグのフリースタイルではそうなってしまいました。

なぜそうなったか、から解説しましょう。
一見スルーしてしまいそうなことですが、
歴史の中に埋もれる因果関係を知ることは、
やはり未来の姿には重要ですし、
それはどこのどんな世界でも同じことだと考えられます。

その1、高度な技術を要することを誰もやらなくなった。
とっても難しいことをあきらめてしまいました。
その理由は本当に難しいからだけではありませんね、
それを習得する価値が薄まったということです。
競技の採点と言うことを考えると、
そのとてつもなく難しいスローに対して与えられる点数がそれほど多くないわけです。
費用対効果が悪いとも言えます。
しかも、スローの評価もキャッチに成功して初めて対象となるのですから、
(この話はいずれ、審査基準の考察、で解説します)
苦労してその技術を会得しても、ミスキャッチで水の泡となるので、
「損」ではないですが、リスクに見合わなく捉えてしまいます。

その2、誰もやらないことは存在が消える
これはその1の話の続きです。
誰もやらなくなると、新しいプレーヤーもそれを見ることはなくなりますし、
そんなスローが存在していたことも知ることはありません。
同じように、かつては存在していた審査基準からも消えていきます。
ある意味で、こう言ったことは当たり前のことですが、
(誰もしないのだから)
それなら簡単な誰でもが出来ることも、
当たり前すぎて、存在は消えないまでも、
審査基準からは消えていきそうですが、
この考え方は競技の存続を否定することと似ているので、
違う形でその簡単なスローの審査基準を残してしまうのです。
具体的にはスローの形式ではなく、距離の精度とかのことです。
ちょっとややこしい話ですが。

その3、演技の質が根本的に変わった。
これは優れた犬たちの登場で、演技の中で魅せる比率が、
キャッチの出来栄え、犬の動作、に重きが置かれるようになって、
演出効果やスローの技術の比率が小さくなってしまった、です。

この3つの理由から退化してしまったのですが、
やむを得ない事情であったと考えられます。
そういった意味では退化は適切な言葉ではない気がしますが、
それでも完全に無くなって遺跡状態になっているわけではなく、
もし、今誰かが挑戦し、完成された形で演技に取り入れたなら、
ニューウェーブとして支持されるでしょう。
おそらく、こういった「魅せるスポーツ」の正常な状態だと思います。
フィギアのトリプルアクセル状態と似ていませんか?

と言うことで、
現在はマジックスローは事実上存在していませんが、
定義とともに復活させたいと思います。
同時にノーマルスローとトリックスローの定義も修正しましょう。

続く。

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2017年6月 9日 (金)

第374回

びわの収穫

びわ・・・琵琶と枇杷。
始まりは大昔、まずは果物の枇杷。
それに似ているからと(胴の部分が)楽器の琵琶が名づけられたそうな。
でもって、その楽器と似ているからと滋賀県の琵琶湖がその名前に。
ところで、その琵琶湖なんだけど、飛行機もなにもない時代、
周辺のどの山の頂から見ても、琵琶の形には見えない、って知ってた?
もちろん正確な地図ができる何百年も前の話。
じゃあ、どうして?
確かなのは誰かが、何らかの手段で上空から見た、ってこと。
そう、どうやって?っていうのがワンダーな話。

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理由はわからないが今年はビワが豊作だ。
俗に言う「たわわに実る」状態。
(正確には「枝もたわわに実る」だが)
考えられるのは雨とか栄養とかではなく、
樹齢かもしれない。
「桃栗3年、柿8年」というあれ。
本当の意味は違うけどね。

縁起が悪いと忌み嫌われるビワの木だが、薬草効果もある。
あるある話で、
もともとこのビワは種を植えたもの。
子供が小さいときに食べたビワの種を庭に埋めて、
子供の成長と照らしわせる、という話。
だから植えてから20年ぐらいか。
実を付けだしたのは5年ぐらい前なので、
「桃栗3年、柿8年、びわ15年」になる。
そこからさらに5年で、つまり若者から成熟した大人になって、
ことしで「たわわ」状態ではないかと推測する。

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ずいぶんといい色になってきたけれど、
実はまだ収穫には少し早い。
もう少し熟成させたいところだ。

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いい感じのヤツは少しだけ袋掛けしよう。

残りはこの人のおやつとなる。

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これぐらいなら十分に今食べれそうだ。

けっきょく、イケそうなのがそこそこ収穫。
まぁ、ちょいとばかしスッパイがそれはそれでよし。

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犬は咬む、後述。

先週の内容で終わりはやはりダメですね。
やり直しします。
今、この問題を抱えていて、真剣に犬と向き合っている人には、
ある意味でとても酷な内容でした。
それは「そんなことわかっているから」でもなく、
「もうあきらめました、飼い方を変えます」でもありませんね。
現実はこの瞬間にも、血を流し痛みに耐え、
そして何よりも恐怖心と戦っていることです。

これは多くの人が経験することではありませんね、
もちろん咬む資質のある犬をうまく咬まないように育て、
そのことによって、恐怖心を拭い去った人もいることだと思います。
しかし、そんな人も含めて、今恐怖心と戦っている人とは大きな温度差があります。
もしかしたら、これこそ経験しないと分かり合えないことかもしれません。

ちょっと想像してみましょう、
自分の家の犬に恐怖心を持つということを。
真の愛情から撫でようとしたときに咬まれるかもしれません、
ではなく必ず咬まれます。それもそうとうな力で。
一瞬でしびれ、流血します。病院へ行かなければならないかもしれません。
あなたの幼子が愛犬に咬まれるかもしれません。
それで命を落とすこともあるでしょう。

注釈します。
この想像はDVなどの家庭内暴力と似ていますが、
対象が犬ですから、全く違う内容です。
そちらのことには言及できませんので、
混同されませんように、お願いします。

我が家の犬に恐怖心を持つと言う事が、
どれほど情けなく、重くのしかかることかをわかっていただきたいです。
それが例えば精神的な疾病が起因しているのなら、
まだある程度は納得できるでしょうが、
きわめて正常であり、特別育て方に、あるいは飼い方に不備がないときは、
動揺する心を静めることはとても難しいのです。

不謹慎ですが、地雷という表現を使います。
地雷の埋まっている道をその犬が生きている限り歩くことになります。
専門家に来てもらっても解決しません。
そして今回の私の話は、地雷がありますよ、
その地雷を見つけてください、そして踏まないように歩いてください。
という内容ですから、
今上げた右足を下すそこに地雷がある人には全く無意味なのです。

私が今までに飼ってきた犬の中に地雷犬は一匹だけです。
オスのシェパードでしたから威力のある地雷でした。
でも、彼が地雷犬であることは生後6か月の時点でわかりましたから、
十分に対処できました。
私限定ですが、その地雷の上で飛び跳ねても爆発しないようになりました。
それでも一時も油断できない状態ではありましたし、
もし、私がいなくなったら彼の運命もそこで途絶えさす覚悟でいました。
実際にそうするように家族には話していました。

けっきょく彼は5歳で天に召されることになるのですが、
死因は病死ではなく、手術後の処置でした。(この話は以前に書いたような)
病気になり手術をし、当然入院となるのですが、
地雷犬には入院はできません。
彼を病院へ置いたままにすると、
麻酔が覚めた時にどのような事態になるかはわかっていました。
そして獣医さんの了解のもと麻酔が覚める前に連れて帰り、
家で療養し、通院することにしたのですが、
この移動がよくなかったようです。
完全に麻酔から覚めることなく旅立っていきました。
ほとんど麻酔が覚めてない状態で、
車からおろすのに抱きかかえた時、
反射的に手に咬みついてきました。
当然の行為です、彼がその時平常心でいられるはずもありません。
しかし、彼は犬歯が私の手の甲に触れた瞬間に口元を緩めました。
地雷は爆発しなかったのです。
彼が死んだとき、安堵している自分がいました。
もちろん若くして死んでいますし、
死因が話した通りですから、悲哀でしたが、
地雷がなくなったことには安堵したのです。

これは決して口にしてはいけないことですが、
本当にどうにもしてやれなくて、
家族が傷つくばかりなら、最悪の選択も最悪ではないと思います。
安楽死だけではないですよ、
保護施設に預ける(捨てるではない)、
家で隔離して飼い続ける、などです。
その子を責任をもって飼い続ける末路が、そういったことであっても、
責任をもってのことならやむを得ないと思います。
ですから、「犬は咬む」問題と無縁の人も、
この問題の闇の深さを知り、温度差を縮めて、
最悪ではないその選択に理解をいただけたらと思います。

また、話しましょう。
毎回、同じ話の繰り返しになりますが。

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2017年6月 2日 (金)

第373回

日本を背負っていく若者

国道1号線が渋滞していて、走行と追い越しの両車線とも、
止まっている時間のほうが長くなってきた。
事故渋滞だろうか。
ところで、1号線がこの地域に通っていることはちょっと自慢である。
だって、なんたって「1号」ですから。
国道がいったい何号まであるのかは知らないけど(調べる気もない)
1号ですからね、7号とかとは値打ちが違うし、なんて思うのである。
まぁ、それに昔の東海道だから長いし。
そんな自慢な1号線だけれど、渋滞したら自慢もクソもない。

渋滞中、走行車線にいると、隣の追い越し車線の車と並走することがある。
しかも止まる位置も同じだ。
そんなとき、こっちの車はキャブオーバーなので背が高く、
隣の車が乗用車なら見下ろす格好になるから少しばかし気を遣う。
だって、相手の視線に入らないところで、
覗いてる、みたいになるから。

まるでストップ&ゴーをリズムに合わせているかの如く、
並走している隣の車はオフィス機器関係の営業車のようだ。
白い小型バンのドアの横に社名が入っている。
その社名を確かめたくて、停車したときにグッと目線を近づけると、
何やら運転手がもぞもぞしている姿が見えた。
「何してる?」
おぉ、驚いた。なんと弁当を食っていた。
のり弁っぽい弁当をちゃんと箸を使って食っている。
それだけではない。
箸を持ったままスマホを操作している。
さらに、ハンドルの前のダッシュボードにはA4のファイルが開かれている。
もちろん、両手はハンドルにはない。
つまりこうだ。
停車中は左手にのり弁、右手に箸とスマホで、
スマホを操作しながら弁当を食って、
目の前にあるファイルに目を通している。

車が動き出すと左手の弁当は助手席へ、
スマホと箸は膝の上、
両手はハンドルでしっかり前を見て運転、
そして、また止まると、それぞれのアイテムは元の位置へ。

しかしなんとまぁ器用な兄ちゃん、と感心。
これって違法?でも停車中だからOKなわけ?
いやいややっぱり駄目でしょう。
年のころは20歳半ば、なんとなく新入社員のような気がする。
初々しさとやる気が伝わってくるから。
また食べっぷりがいい、
ガツガツ食うところも好感が持てる。
それに精度が高い。
決してスマホと箸を落としたりしないし、
ファイルのページは確実にめくるし、
のり弁をこぼしたりもしない、大したもんだ。
見えないけど、たぶんのり弁もキレに食べていると思う。
きっと米粒の一つも残っていないのだろう、
そういうところに育ちの良さがわかる。知らんけど。

弁当食う時間もないほど働いているんだろうな、と思う。
こういった若者が将来日本を支えてくれるのだから、
まだまだこの国も捨てたもんじゃない。
彼が将来、管理職になった時、
「弁当みたいなもんは移動中に食えばいいんだよ」
なんて部下たちに言うんだろうな。
「それに俺はな、食うだけじゃないぞ、
食いながら仕事もこなしてきたんだ」
と、ダメ押しするんだろうな。

5回ほどのストップ&ゴーで完食、
その後渋滞も解消されて彼は遠くに消えていった。

ところで、聞きたいんだけど、今、午前10時20分だけど、
それって「何メシ?」

1go

A1go

なんかカッコいい、アメリカのやつ。

犬は咬む、最終回

~それらは極めて冷静な判断によって執り行われています。~

その冷静さがよっくわかるのが咬む力です。
犬の咬む力は相当に強いです。
犬の咬む力を数値化していることがありますが、
それは全くあてになりませんし、
その数値を知ることはそれほど重要ではないですね。
ただ本気で咬むと殺傷能力は十分にあります。
犬にかまれたときに重症化しないのは、
犬の手加減です、つまり本気ではないということになります。
犬自身は本気で咬めばどうなるかは知っているし、
それが今必要でないことも知っています。
知っていて咬むんだから質が悪いって話にもなりますが、
そうではなく、犬は咬むけれど意外にも本気ではない、
威嚇で咬むのがほとんどであるということです。
もちろんその程度でも、激痛が走って出血、あるいは骨折することもあるでしょう。

対犬でも人でも重症化するときがありますが、
それは体力差が力の差になった時と、
興奮具合で歯止めが利かなくなった時です。
おそらく獲物を襲うときと、
本気で身の危険を感じた時以外は本気で咬まないでしょう

本気で咬まない犬の咬み方を「歯を当てる」と言い表しますが、
本気でないからという理由でこの問題から除外したりはしません
「歯を当てる」も咬むの一部として対処します。

咬む理由を知ることは咬む時を知ること、
そして咬まれない方法を探ることに繋がります。

咬む気持ちにさせないことは重要で、
何よりも追い詰めないことが一番効果的です。
もちろん、そのためにはその犬が何で追い詰めれたと、
感じるかを知る必要がありますが、
それは普段の生活の中で十分に探ることができるでしょう。
ただし、探る生活をしなければなりません、
こう言うととても息苦しい生活で生きがいを失くしてしまいそうですが、
「探る」のものが「思いやり」だと思えば自然にできるのではないでしょうか。

咬む気持ちになった犬にNoを言ってもその気持ちは収まりませんし、
仮に咬む行為を止められたとしても、
それは根本的な解決にはなりませんね。
もちろん、咬んでしまった結果よりは、
はるかにいい結果であることには違いありませんが。

家族を咬んで、他人を咬まないということはありませんし、
逆に他人を咬んで家族を咬まないということもありません。
咬まれるに差があるとするなら、
その原因を作っている方が咬まれるほうです。
家族の中の誰かが咬まれるとしたら、
その誰かは咬まれる原因を作っています。

他の犬は咬むけど他人は咬まない、これもありません。
唯一あるのは、家族は咬まないが、他犬は咬む、です。
これは家族を群れとしてみた場合の正しき状態ですし、
犬を飼うことの大きな魅力の一つとも言えます。
魅力という言葉を使うと、さらなる誤解を招きますが。

ここでもう一つの大きな問題に到達します。
それは「咬まないように育てることができますか」ということです。
答えは「できます」ですが、年齢が高いほど難しくなります。
反対に幼少期は思った以上に簡単です。
難しくなる理由は頑固になるとか、素直さがなくなる、とかではなく、
正反対の「咬むこと」を学んでしまったからです。
幼少期が楽な理由も同じです。「咬むこと」を学ばせないのです。
幼少期の咬まない犬に育てる策はありますが、
2歳を過ぎて「咬むこと」を学んでしまった犬を、
咬まない犬に育てる決定的な術は持っていません。
もしかしたら、そんな育て方はないかもしれないとすら思っています。
世の中には「それでも大丈夫」と言う専門家がいますが、
暴力によってその犬の心を封印してしまう方法を採用する専門家はいかがなものでしょう。
咬んでしまう勢いの程度にもよりますが、
それならまだ犬歯を削ってしまったほうがその犬は幸せでしょう

決定的な策がないうえで、事を避けるは有効だと思います。

犬はもともと無意味に咬むものではありませんから、
より多くの状況を避けなくても健全な犬生活は維持できるでしょう。
それができないほどの悲惨な状況ならあきらめるしかないかもしれませんが、
それは稀なことでしょう。

結論はありませんが、事の顛末としては、
「犬に咬ませてはいけないし、犬に咬まれてもいけない」
と言うことになります。
全く解決にも助言にもなっていませんが、
これは一つの妥協点だと考えています。

犬たちにとって咬むことは自然なことです。
咬まなければいけない場面もあります。
咬むときには必ず犬の正義としての理由があります。
しかし、我々はそれを認めません。
何があっても咬んではいけないことを求めます。
もちろんだからと言って、ほかの人や犬を傷つけてもいい理由はありません。
しかし、それと同じように咬むその犬も傷つけてはいけないのです。

咬んだ犬をあなたはこれでもかと言うほど叱ります。
そこに正当な理由があるにも関わらずそれを否定します。
犬の話すら聞こうとはしません。
咬んだ理由がもしかしたら、あなたを守るためだったかもしれません。
きっと尊厳を傷つけられたと思っているでしょう。
そして、この瞬間からあなたとの関係は壊れていきます。
不信と不安の中でこれから先ずっと飼われ続けなければなりません。
もしかしたら自死するかもしれません。
そんなことあり得ないと思っていますか?
チャンスがないだけですよ。
犬の自死は誰も研究していません、それは「無い」が前提だからです。
家出する犬をたくさん知っているのに、
事故に巻き込まれる犬をたくさん知っているのに。

咬む犬から犬としての幸せを奪ってはいけないですし、
そのことで人と共存できなくなっても、
あるいは一般的な家庭犬としての幸せを得られなくても、
その犬の尊厳は守ってやらなければなりません。
それが犬属の命をもてあそんだ人の役目です。
犬に咬まれたらその犬も人も不幸になります。
咬まない犬だけを求めるのではなく、
咬まれない自分も求めてください。
もう一度言います
「犬に咬ませてはいけないし、犬に咬まれてもいけない」です。

終わり。

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