2018年1月19日 (金)

第2回「犬は飼うもの」その2

大阪市営地下鉄

先日、野暮用で地下鉄に乗った。大阪市営地下鉄だ。
よくよく考えると、
そう言えば1か月に1回ぐらいは大阪で地下鉄に乗っていると思う。
以前は車で出かけることが多かったが、
最近は妙にそれがおっくうになってきたと実感する。
特に大阪市内方面は恐怖の阪神高速と人格変貌渋滞があるから、
まったく車で行く気がしない。
それに電車の中ですることがなかったのが嫌だったけれど、
最近はスマホのおかげで退屈することはない、
むしろその時間が有難いぐらいだ。

難波から御堂筋線、長居までいく。
けっこう空いていてほとんどの乗客が座れた。珍し?
でも、前にいる中年の男性は目の前の座席が空いているにも関わらず、
座ろうとはしなかった。
「へんなおっさんやな、座ったらええのに」
人の勝手である。
「気になるわ、あんたのケツ見たってしょうがないし」
女性のお尻見つめていたら、犯罪である。

はっきり言って大阪の地下鉄は少し運転が乱暴な気がする。
大阪人の気質なのかもしれない。
揺れるし、なんと言っても減速加速のGがけっこうすごい。
座っていてそう思うんだから、
目の前で立っているおやっさんもきっと耐えているはず。
と思いきや、なんと彼はつり革も持っていないじゃあ~りませんか、
驚き桃の木山椒の木(知ってる?)

「すごっ」と思っていると、
目の前のケツが上下しているのに気が付く。
「おぉ~っ」なんとつま先で屈伸運動しているではないか。
こいつはただのおっさんじゃない、この身体能力、只者じゃない。
そう言えば以前にもこの光景見たことがあるが、
この人のそれはキレが違う、ピッピッピッと上下運動だ。
このGの中、微動だにせず。
なんかちょっとカッコイイ、
ごめん、さっきは「おっさん」とか言って。(言ってないけど)
心の中で謝罪して次の停車駅で降りた彼の後ろ姿を見送った。

帰りの地下鉄は混んでいた。
ぎゅうぎゅう詰めではないけれど、好きなポジションにいけないぐらい。
先頭車両の一番前のドアから乗ったが、
驚くなかれ、そこには座席は無論、つり革もない空間があった。
なんで?と思う間もなく加速のGが襲ってくる。
仁王立ちで踏ん張るが、キープが難しい。
加速減速Gに対応したら、横揺れには弱い、逆もまたしかり。

ポジションを探りながら一駅二駅と過ぎる。
ほう、どことなく慣れてきた、大したもんだ。
余裕が出てきた、思いだした、行きに見た彼。
つま先屈伸を試してみた。
その時、減速と右カーブのダブルGに襲われた。
激しくよろめく、混んでいるのが幸いして崩れ落ちなかったが、
人にぶつからるわ、荷物は床に叩きのめすわ。

「すいません」と謝りながら思った。
やっぱし、行きの彼はすごいわ、憧れが芽生えたかもしれない。
その時、やんちゃっぽい若者が声をかけてくれた。
「ここ、持ちいな」とドアの手すりを指さした。
ありがとうと言って、その手すりを握った自分の手の年齢が80歳に見えた。

なんかしらん、あーカッコわる、やっぱ車がいいかも、大阪いくのは。

Tikate

「犬は飼うもの」その2

「犬は飼うもの」これが正しいです。
そしてあなたは飼う人だから飼い主さん、になります。
もうちょっと言うと、〇〇ちゃんの飼い主さんは、〇〇ちゃんの保護責任者になります。
責任者ですから任務は重いですよ。
なんと言っても世の中、責任を負わないことほど楽なことはありません。
やりたい放題、誰がどうなろうと知ったこっちゃない、自己中心の極みです。  

ところがみんな、実際は世の中で生きながらえる限り、
何らしかの責任は負っているものですね。
自分以外に責任を負っていなくても、
自分がこの世に存在することに責任は負っています。
「誰にも迷惑かけていないし」なんて、
大それたことを簡単に言えるものではありませんね。
俗っぽい言い方をすると「自分の面倒ぐらい自分でみろよ」ってことになるんですが、
自分の面倒を見ながらさらに犬たちの面倒を見ようとするわけですから、
そりゃ簡単に楽にことが進みませんね、
時には自分を犠牲にしなければならない時もある、
犬飼の宿命かもです。(犬飼、この言い方は好きですね、「犬飼の定義」とか「犬飼の気持ち」とかで使っています。もしかしたら「飼い主さん」よりも多く登場するかもしれませんので以後よろしく)

もう一度繰り返します、厳しいこと言います、
飼い主さんは責任を負っているわけで、
自分の面倒を見れなくてもその責任は果たさなくてはならない、ですね。

「え~、そこまでですか、そんな~、しんどいですよそれは」
これこれ簡単に弱音を吐くんじゃない、初っ端で弱音吐かれたら最後まで持ちませんよ。
世間一般に昔から言われいていること、
「犬を飼ったら最後までちゃんと面倒をみること」、
けっこう子供たちが親御さんに攻められます「ちゃんと見れるの、お散歩行けるの」って。
無理ムリ、はっきり言って子供たちが見れるわけがない、
まぁそれはお母さんもわかっているわけで、脅しみたいなものなんですが、
実は親の「逃げ」も多少は含まれているんじゃないかと思うわけです。
面倒見れない時や万が一何か重大なことがあった時に、
ちょっとばかし言い訳にしているような、
自分を慰めようとしているような、責任転嫁的ないざと言うときは逃げたる的な。

責任感が大きかったら子供達にはきっとこう言いますよ、
「お母さんもできるだけの事はするけど、どうしてもできない時はお母さん助けてな」って。
責任果たしている姿も見せないで「ちゃんとやれるの」なんて聞いちゃダメでしょう。
犬を飼うことに関しては、と、とりあえず犬飼限定にしておきますが。

覚悟なんですね、そう覚悟をもってと言う話なんですが、
ここはもっともベーシックで重要ですね。
物扱いですよ、犬は。
ほんとは物じゃないけれど、世間的にも多くの犬飼の人にとっても、
モラルもマナーも法律もペット産業にも「物」です。

わかっています、本当は物ではなく「命」だってことは。
でもそれだと責任が重すぎるんですね、重すぎて当たり前のことだけど、
自覚しすぎると犬は飼えないことになります。
だから時には「物」化させて納得します。
唯一救われるのはずっと「物」じゃないことですかね、罪の意識が芽生えるんでしょうか、
今日の天気は「生き物」時々「物」、週末は「生き物」が続くでしょう、
みたいになっていることです。
ん、ん、人の世はまだまだすてもんじゃないです。(たいそうな)

だからと言ってここは妥協しませんし、してはいけません。
と言って完璧を求めたりもしませんが、
しっかりと「命」を預かっている自覚をもって「私がこの子の飼い主です」と、
責任を果たしていることを、堂々と言えるようにしましょう。

なんかわけわからん話で、それに重たい、
って思う人は退場、顔洗って出直してこーい、と冗談はともかく、
説明が難しいですよ。叱ったり脅したりするならもうちょっと楽かもしれませんが、
結局みなさんに考えてもらわないと答えにたどり着けないような気もするし‥‥

続く。

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2018年1月12日 (金)

第1回「犬は飼うもの」その1

年の瀬あれこれ2017

恒例の除夜の鐘つきに出かけた。奈良の東大寺だ。
そうだ、ちょっとばかし早めに行って「おかる」でお好み焼きを食べよう、
と言うことになった。
年越しお好み焼き、語呂は悪いがいいと思う。
久々だ「おかる」。奈良公園近くの商店街にある有名な店。
豚玉と焼きそばは外せないし、かといってモダン焼きも捨てがたい、
正月なんで(まだだけど)贅沢して広島焼にするか、しかも牡蠣入りで。
広島焼と言うと広島の人は「そんなものはない」と怒るが、
ここ関西ではあの手のお好み焼きを広島焼と言っている、まぁええやん。
さらに「おかる」は明石焼きもある(兵庫県の)、悩む、が、楽しみ。

それにしても年々ここは人通りが少なくなっているな、
大晦日だって言うのに、東大寺や春日大社、
興福寺なんかがある奈良公園の近くなのにまったく。
おーい観光の人、どこに行った?
そんなこんなで「おかる」の前、おーっと!衝撃が走る。
ウソっ、休みだ、なんで?大晦日なのに、時間も早いのに、なんで?
張り紙がしてあった。
大晦日なので早終いしたらしい、どうもついさっきまでやっていたよう、
「新年は2日から営業します」って、
あかんやん、こんな有名な店がそんな消極的で。
やっぱり観光の人来ないんかな、
そう言えば奈良に来ても宿泊は京都か大阪って聞いたことがあるけど、
なるほどね、妙に納得してしまう。
ショック「おかる」が、なんか調子わるっ、初詣前にすでに運勢悪いみたい。
いや待てよ、まだ新年じゃないから厄払いみたいなもんか…
しかし、お好み焼きってのは、一度食べたいと思うと、どうしても食べたくなる。
まぁいい、鐘つきの帰り境内の屋台で食べよう、
確か広島焼の屋台が例年あったから。
それに屋台の雰囲気が「おかる」よりも美味しいかもしれないし。

12時前後の奈良公園はすごい人の数だ。
とにかく有名どころの寺の数が多い、まるで寺院のテーマパークか、と思うほど。
鐘つきはざっと1000人が並んでいるし、
東大寺と春日大社にはそれをはるかに上回る数の行列だ。
そして、これも最近の傾向だがバリリンガルになっている。
旅行社のオプショナルツアーで日本の新年が人気なんだろうな、
広大な駐車場には大型観光バスがみっしりと並んでいる。
そうか、やっぱり奈良市内では泊まらないんだ、と納得。
そのせいで、「おかる」も閉まってるし、と言う気持ちが無くもない。

さて、鐘もついたし、屋台へ直行、
鹿せんべいを買って、まとわりつく鹿さんをなだめながら、
どれから食するか物色。
とりあえず、年越しそば。ほー中津のから揚げか、
中津と言えば大分のから揚げの聖地、食わずに帰ったらばちが当たりそう。
なんでこれがうまいのかわからないけど、妙な魅力の玉子せんべい、
くじは外れて玉子は一個、けど一個でいい、十分。
特等の当たりの人が横にいて、見ると玉子が3個、胸やけ…すっぞ。
帰りの車で食べるベビーカステラを後で買うことにして、いよいよ〆の広島焼。

あった、けどシートがかけられていて営業してない。
ウソ、なんで、他は煌々と大吉なのに、ここだけ凶。
隣のフランクフルトのおばさんに「広島焼きは?」って聞いたら、
「そこか?初詣に行ってて日が昇ったら帰ってきてあけはるわ、毎年や」って。
もう、なんやそれ。

あれから10日が過ぎ、いまだ「初お好み焼き」をしていない、
今年は縁がないかもな。厄は払えてなかった。

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「犬は飼うもの」その1

最近は犬を飼う、と言う言い方よりも犬と暮らす、と言う言い方のほうが人気があるようです。たぶんですが、「飼う」にはちょっと義務的な印象があるんでしょうか、あるいは家畜的な存在っぽくなってしまうのか、とにかく飼うという言い方をすると、抵抗感をあらわにした表情で対応されることがあります。

「ウチの〇〇ちゃんに飼ってるなんて言えませんわ」などと、どこぞのマダムが言いそうですね。「飼い犬?なんて失礼な」これもありそうです。「それじゃ聞きますが、あなたは飼い主さんですか?」って言うと、むきになって「この子のママです」なんて強く言われます。そう言われたら「それは違うやろ」なんて思ってますが。

イヤイヤ、確かにね、SNSの世界でも、実際の犬関係の集まりでも「〇〇のママさん」とか、のを省いて「〇〇ママ」なんて呼び合うことはありますよ(〇〇は犬の名前)、ママだけじゃなくてパパも出てくるし、さすがに叔母や叔父はいませんが、相手の正確な名前をしらなかったり、「さん」付は印象が固くなったりと、親近感を表すのにはもってこいですね。失礼とかもこの呼び方なら当てはまらないし、呼ばれたほうもそれなりに喜んでいるみたいだし。

だけどこのマダムは本気でそう思ってますから、どうかすると「私が産んだことにしてます」ぐらいまで平気で言いますからね、それはマズいですよやっぱし。

ドッグトレーニングや躾の本なんかで必ず出てくるアルファ症候群の話ではありませんよ、そうではなくてマダムの心構えの問題なんですね。「ママ」は可愛がる人ですよ、でも可愛がるだけじゃ犬は育ちませんね、そりゃ食事をしっかりと与えれば成長はしますが、それは育ったとは言えません。育ったとは心身ともに成熟することです。

だからどう考えても「犬は飼う」になるんですね、そしてママではなくやはり「飼い主」なんですよ。「暮らす」も微妙にずれている気がします。「暮らす」の中には共存関係が必要でしょう、暮らしていくためのそれをしてあげたり、してもらったりと言う共存です。でも犬たちは暮らすためのそれをしてくれないですし、しようがありませんね。(ここで介助犬の話は的が違いますので)愛だとか癒しとかではない、もっと具体的な例えば食料を調達する、みたいなことです。

どうでしょうか、「飼う」以外にはどこか責任が薄いような気がしますが。この責任は重要ですね、なんせ対象は命ですからね。「ママ」と「暮らす」に責任感が全くないとは言いませんが、影が薄いような気はします。

よってこれから先は「飼う」「飼い主」「飼われている犬」で進めていきます。抵抗がある人も我慢してお付き合いください。進むにつれて「飼う」でいいか、と思うようになってきますし、そう思えたらしっかりと責任感も備わっているはずですから「ママの子だから一緒に暮らしているの」と堂々と言ってもらってけっこうです。犬飼の人以外には変人呼ばわりされますがね。

つづく。

 

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2018年1月 5日 (金)

2018迎春

終着駅か、それとも途中下車なのか、

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あけましておめでとうございます。

とりあえず年始の挨拶だけはしておきましょう。

年末に最終回でその後少し休もうかと思ったんですが、
なんか、このまま休んでしまうと、ずっと休みそうな感じがしたんで、
通常配信することにしました。

時代はもうブログじゃないですね、痛感します、
実際に閲覧数は60度ぐらいの急こう配を下っているし、
そもそも長ったらしい文書はその画面を見ただけで目を背けられる。
文は読まないで見るようになったんでしょうか、
そう思うことも確かにあります。
つぶやきと写真、それで十分、
でも十分なのは本当に十分じゃなくて、
そこそこで十分ってことなんでしょうね、
後はお任せします、みたいな。

年の瀬から新年にかけては、けっこうしんみりとしています、(こう見えても)
やっぱりいろいろと考えるし、振り返りますね、
何がって、いろいろなこと。
安堵も後悔も希望も絶望も、と言うと大そうな話なんですが、
この年の瀬はなぜか前世について考えてました。

前世があるとかないとかじゃなくて、
自分の前世はいったいどこの誰でどの国のどの時代だったんだろうって、
でね、頑張ったら思い出せるんじゃないかと思って、
問題はどう頑張るか、なんだけど、きっと方法があると思う。
誰か知らない?
けど、修行とかは遠慮します、嫌いなんじゃなくて、
現実的にその時間が取れません。
(調べるとあるわるわ、ちょっと怖いので見てませんが、
その怖さは、ゾゾっとする怖さではなく、騙される怖さですよ)

なんでまたそんなこと考えるのか、って、
実はちょっと後悔していることがあって、
あってと言うか、起こったというか、気が付いたというか、
その時に何気に、「今度生まれ変わったら、絶対にそっちに行こう」って思ったんです。
それで、生まれ変わった時はそのことを覚えてなきゃいけない、って。

詳しくは、つまらん事だけど、近々話しましょう。

そうそう、ブログだけじゃなくて、昨年よりインスタ始めました。
それとツイッターも始めようと思ってます。
時代に遅れそう、ではなくて毛嫌いするのをやめようと思ったんです。
フェイスブックもそのうち、ラインもしたことないんですが‥‥

写真やつぶやきで伝えられたら面白いだろうな、って思えるようになったんですね、
伝えたいことはちゃんと文書にしなきゃ、怠けちゃいかんよ、って、
違うな、それは、そうじゃない、
文書だからOKではないはず、むしろ文書に依存しすぎるとつまらない文書になるし。
結局、書き手が楽しまなきゃダメなんだろうな、って。
だから長さじゃなくてつぶやきでもいいし、
文書にできないほどの、とっておきの一枚でもいい。

妙な使命感は捨てて、気楽に綴りますので、
今年もよろしくお願いします。

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さて、犬の話はタイトルの通り進めていきます。
なんか、こうなる気がしてたんですよ、1年ぐらい前から。
自分では「とうとうここに来たか」って感じです。
犬飼歴20余年、たかが知れてる、
けど、中身は濃いです、この20年、一度も一日たりとも「観察」を怠ったことはありませんね、
それほど魅力あふれる奴らです。
その結果、本当に彼らの顔色が見えるようになってきました。
違う違う、神なんかに近づいていない、
そうじゃなくて、しっかりとデータが蓄積された、ってことです。
だから、もちろん他所の犬のことも見えます。

それがね、面白いですね、意外と幸せそうな表情じゃない子、目につきますね、

そこで新たな課題が見えるわけです。
「あなたのワンちゃん、本当に幸せですか」です。

もう犬たちは今までの犬たちから卒業しましょう、
すなわち人の持ち物でない存在です。
かと言って野生に返すってことではないですよ、
野生に返ったら犬は犬でなくなりますから。
犬としての尊厳を返しましょう、ってことです。
それで新たにできた関係は今まで以上になるはずです。

と、まぁ、完成形が見えないですが、ここに突き進むことにしました。
運命だ、これはきっと運命に違いない、
違う使命だ、言い切るなら使命だ、
冗談ではなく、ちょっとばかし本当にそう思っているところが危ないですが。

これから先、2年ぐらいで完走する予定です。
この議題は「危ない話」がたくさん出てきますし、
人の商売を妨害することもあります。
誹謗中傷や揶揄したりはしませんが、
思っていることをそのまま言いますので炎上は避けられないでしょう。
戦うことはしませんが、逃げることもないです。
かと言って、説得し続けることはしません、
無条件で共感していただける人だけに、
誠心誠意、とっておきを話しかけます。

宣言します「私は犬の味方をします」と。

究極のたわごと、つーことでよろしく、です。

犬賢楽学
犬の味方、つかさきせーじ

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